参加について考えた

例えば、Apache James を自分の PC に設定するときに、設定メモも残したとします。
その後 PC の入れ替えがあり、再び James を設定しなければならない、となったとき、
果たして自分は何をするでしょうか?


答えは簡単。きっと GoogleApache James の設定方法を検索するでしょう。


かつて設定メモを残したこと自体を忘れているかも、ということもありますが、
きっと Web 上の情報のほうが最新状況も含めて正しいだろう、と思っている節があります。
Web への依存度が極めて高くなり、結果として自己メモの価値が低くなっています。


そこで考えたことがひとつ。


Web 上の情報に対して、自分は「利用する」という立場でしか関わっていない。
誰かが作成した情報を 100% 自己都合で便利に使っているだけに過ぎない。


これって実は”マナー違反”なんじゃないか?
Web による恩恵を受ける以上、何らかの”恩返し”が必要なのではないか?


例えば前述の自己メモのようなものでもどこかの誰かの役に立つかもしれない。
もしかすると将来の自分が検索し辿り着いた先が、過去の自己メモってこともあるだろうし、
自分の PC の中にゴミのように埋もれていくよりきっと価値があるはず。


・・・とここまで考えてやっと「参加する(Paticipate)」の意味を理解しました。


そのための手段はいろいろあると思いますが、まずは手始めとして、
本ブログで「自分が考えて整理できていること」を提供していこうと思います。